車いすラグビーを見て考えた,「私は障害者の人に向かってタックルできるか」という疑問
暑いのか寒いのかはっきりしてほしい日が続きますが,みなさまはどうお過ごしでしょうか。むーよしです。
私,実は先のパラリンピックから車いすラグビーに魅入られていて,昨日やっていた車いすラグビー日本選手権大会予選リーグの配信も見ていました。
改めてやっぱり面白くって,時間の使い方とか車いすという特性の活かし方にすごく戦略性があって,そこに思いっきりタックルしあうっていう力押しの要素もあって感心するんです。
それで機会があったらちょっとあの車いす乗ってみたいなーとか考えるんですよね。ちょっと車いすラグビーを体験してみたいと。
そこまで考えて,疑問を持ちました。
「仮に車いすラグビー体験会なるものがあったとして,私は車いすを思いっきり漕いで選手の人にタックルしに行くことが出来るのだろうか」と。
何が引っかかるかって,『健常者』である私が『障害者』である選手に体当たりをするという行為に対して違和感を感じる訳です。
ろくにトレーニングなんてしてない私が一生懸命車いすを漕いだところで選手の皆さんが普段受けているタックルに比べればかわいいものでしょう。タックルを受けることにしたって選手の側は慣れています。特段大したことじゃない。何より体験会で向こうが用意してくれているのに,失礼も何もありゃしない。やらないことの方が失礼でしょう。
それは頭で分かっている。
けれど引っかかる。「そんなことして良いはずないだろ」と私の中の倫理観のようなものが囁くんです。
私は彼らを『弱者』として見ているのでしょうか。そうかもしれない。それを否定する材料は特にない。でも,タックルできない(かもしれない)ことが,私が彼らを弱者とみている証明だと言われてもなんか納得できない。
そして,この社会で生きていく上で障害があるからこそ彼らは『障害者』であるのだから,ある一つの面で私の方が恵まれているとは言える。となると恵まれているものが恵まれていないものを助けるべきだという倫理観,道徳観で言えば私は彼らを助けなければならない。
でも,彼らにタックルをしないことが彼らの助けになるとは思えないし,見ず知らずの人間に弱者だと決めつけられるなんてことは彼らにとって屈辱的なことだろうと思う。
結局のところ答えは出ません。堂々巡りになっています。なんなら実際にタックル体験に行ったとしたら,ここまで書いたような小難しいことなんて一切考えずに,「それー!」って普通にタックルしてるような気もするんですよね。ただ,私の心はまだ、弱者を労ることと、強者を讃えることの区別がついていない。そんなところが現時点の結論の様な気がします。
いつも以上にふわふわとした文章になってしまって申し訳ないです。ただ、今の私に出来る最大の言語化でした。拙い文章にお付き合いくださり、ありがとうございました。
それでは、また。