戦国高校に出て来る武将達がどんな人達か調べてみた②【パワプロアプリ】

気持ちよく五月晴れとはいかない天気が続いていますが,皆様のご機嫌はいかがでしょうか。むーよしです。

 

さて,本日は戦国高校に出て来る武将について知らベてみたの第2回です。アレステース強化のアプデがあったりしたもので,前回から大分間が空いてしまいましたが,ともかくやってしまおうということで今回もお付き合いいただけると幸いです。

 

 

武田信玄

1521-1573 甲斐(現山梨県

 甲斐の虎と呼ばれ,軍旗に風林火山の四字を掲げた武将。風林火山は孫氏の兵法に基づいた心構えで 「疾きこと風の如く,徐かなること林の如く,侵掠すること火の如く,動かざること山の如し」という意味です。この信玄,21歳の若さで家督を継いでいるのですが,その方法が過激。戦ばかりして民を顧みない父親を国を留守にしたすきをついて追放し,自分が武田家の当主となるんです。つまり実の親を追放して当主になった。歴史に名を遺す人物は凄いですね。
 当主となった後は上杉謙信織田信長と戦いを繰り広げます。謙信の領地で一向一揆が起こるように煽って謙信を封じ,室町幕府の将軍や本願寺,越前の朝倉家,近江の浅井長政などを味方にして信長を抑え込み,徳川軍を戦で破り,天下統一まであと少しというところまでたどり着くのですが,病に倒れてなくなっています。

 

山本勘助

 1493(1500?)-1561 出自不明

 武田信玄に仕えた武将。諸国を流浪した後,武田氏の家臣にその才能を見出され信玄に召し抱えられたとされています。流浪人であったため信玄の開く会議には呼ばれず,会議の前に信玄がこっそりと呼んで勘助に作戦を提案させていたため「陰の軍師」という呼び名があります。ただ出自については不明で,そもそも架空の存在であるという説まであります。川中島の戦い(武田vs上杉)にて,キツツキが木の反対側をつついて虫が木から這い出してきたところを狙う動きを応用したキツツキ作戦を立てて決行するのですが,上杉謙信によって作戦は見破られ,失敗の責任を感じた勘助はそのまま上杉軍に突撃し壮絶な死を迎えたということです。なおその戦いでは結局上杉軍が撤退しています。

 

上杉謙信

1530-1578 越後(現新潟県

 武田信玄と5回にもわたる川中島の戦いを繰り広げた武将。義を重んじた武将としても有名です。戦国時代でも屈指の戦上手とされ、その神懸った戦績から後世、軍神や、「越後の龍などと称されています。もともと謙信は家督を継ぐ予定はなく,兄が領主となり自分は寺に修行に入ります。しかし兄は病弱で家臣をまとめることが出来ませんでした。そこで謙信が寺から戻ります。戻ってしまえば反乱を鎮めて国内の実権を握り越後を統一。その後,信玄と5度にわたる川中島の戦いなどを経て1561年,関東を支配する役職を室町幕府から与えられます。最期は1578年に病死します。お酒が好きで梅干しなどを肴にして呑んでいたと伝えられていて,そうした生活がたたったのかもしれません。ちなみに実は女性だったのではないかという噂があります。

 

 

毛利元就

1497-1571 安芸(現広島県

 元就は家を継いだ時には周りに尼子氏や大内氏といった有力大名に囲まれていました。毛利家といえば中国地方を支配した名家というイメージだったんですが,もともとは広島県西部ぐらいしか支配してなかったんですね。そこでまずは大内家に近づき傘下に入り,戦果を挙げて領土を拡大します。また敵対関係にあった宍戸氏との関係改善に努めます。さらに3人の息子に期待をかけ,「1本の矢はたやすく折れてしまうが,3本まとめると折れない。だから兄弟3人,協力せよ」と教育し,次男と三男を吉川家,小早川家に養子に出し,その後目を継がせます。この3人の息子のうちの1人,吉川家に入った次男が吉川元春です。こうして着々と力をつけていきました。
 その後,関係が悪化した大内家の陶晴賢と戦となり,5000人弱の兵で2万人超の兵力を討ち倒すというジャイアントキリングを成し遂げます(厳島の戦い)。また尼子氏の当主の死に乗じて尼子氏を攻めて攻略するなどして中国地方の覇者となりました。

 

吉川元春

1530-1586 安芸(現広島県

  戦国時代から安土桃山時代にかけての武将で,毛利元就の次男。父・元就によって藤原南家の流れを汲む安芸国の名門・吉川氏に養子として送り込まれ、家督を乗っ取る形で相続します。弟の小早川隆景と共に「毛利の両川」と呼ばれ、山陰地方の政治・軍事を担当し,毛利家を実質的に支えました。元春の勇猛ぶりは、父である元就が「我は戦では元春には及ばぬ」と評したほどで,生涯で幾多の合戦に臨み、数多くの勝利を収め、一度として敗れたことのない不敗の猛将として言い伝えられています。

 

 

最期に

 いかがだったでしょうか。こうして歴史上の人物の来歴を調べてみると,ちょっと状況が違えば歴史も全然違ったものになっていたかもしれないなと思いました。武田信玄が病に倒れず天下人になっていたらとか,毛利家が強くなかったら豊臣秀吉はどんな政治を行っただろうかとか,想像が掻き立てられますね。少し学んでみるだけで新しい可能性に気づかされる。世界って面白いものです。

 

それでは,また。

 

 

 第1回目はこちら

mooyoshi.hatenablog.com

 

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参照文献

Wikipedia  Wikipedia

戦国武将一覧 戦国武将一覧 (hikak.com)

富増章成(2017) 超訳戦国武将図鑑  かんき出版

矢部健太郎(2015) 超ビジュアル!戦国武将大辞典 西東社