当時給食でしか知らなかったポトフというメニュー

「好きだった給食メニュー」

 

 担任の先生の特技は牛乳の早飲みでした。どうも,むーよしです。

 

 今週のお題「好きだった給食メニュー」。給食なんて昔のことでいまいち何のメニューがあったかさえ覚えていないんですが,お題を見て一番初めに思い出したのは「ポトフ」でした。

 

 当時,美味しいとは思いつつも家で出たこともなかったので,結局何者なのか分かってなかったんですよね。ジャガイモとか玉ねぎとかを煮込んだ洋風の煮物ってイメージでした。というか自分でもつくらないので今でも詳細を知らないままの料理です。

 

 Wikipediaさんによるとポトフは

ポトフpot-au-feu)は、フランス家庭料理の一つ。鍋に塊のままの牛肉、野菜類に香辛料を入れて長時間煮込んだもの。ポトフーと表記される場合もある。フランス語potは鍋や壺、feuは火を示すため、「火にかけた」といった意味になる

ポトフ - Wikipedia

というものだそうです。

 

案外洋風の煮物というイメージはあってました。

 

ただ具材のところに

牛肉は、主にすね肉、もも肉、かた肉が使われ、野菜類はニンジン、タマネギ、キャベツカブ、ポロネギなどが使われる。ジャガイモなどデンプン質の多い野菜は煮汁が濁るため、一般に避けられる

って書いていて,「え,私の給食にはじゃがいもは入っていた気がするんだけど!?」とびっくり。どういうことかとレシピサイトをのぞいてみるとジャガイモを使ったポトフのレシピが沢山ありました。日本ではジャガイモを使うのも普通ってことですかね。現地と日本では同じ料理でも違うところがあったりするものなので,ポトフもそういうことなのでしょう。また一つ賢くなれました。

 

 

 今日はポトフ,好きだったけど何も知らなかった給食メニューについてでした。意外と簡単に出来そうな感じだったので今度作ってみようかなぁ。

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

それでは,また。

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悩むことのメリット

 最近ショックなことがあって寝込んでいたら,ずいぶんと更新が遅れてしまいました。お久しぶりです,むーよしです。

 

 

 さて,今日は悩むことのポジティブな側面を考えてみようと思います。

 私は寝込んでいる間ずっと悶々と悩んでいましたし,ストレス社会と言われる昨今,悩みが一切ない人の方が珍しいだろうと思います。

 「悩む」「悩んでいる」というと,ネガティブなものとして認識されていて,「くよくよするな」とか,「のんで忘れろ」みたいな対処が推奨されることが良くあります。しかし,物事には良いことと悪いことの両面あるのが世の中の常。悩むという,一見ネガティブな要素しかないことについても良い部分は見いだせるのではないかと思い,つらつらと書いてみることにしました。

 

 

①悩むことで解決法が出て来ることもある。

 一番に考えつくのはこれです。一生懸命考えることで今抱えている問題に対する解決策を思いつくことがあります。もちろん今の自分ではどうしようもない課題もありますが,懸命に考えている中で良い案が浮かんできた経験というのは誰しもあるのではないでしょうか。そもそも悩むという行為をしなければ解決策が出てくる可能性は低いでしょうから,これは明確に悩むという行為のメリットだと思います。

 

②深く物事を考えることで思考力が鍛えられる

 ああでもない,こうでもないと悩むうちに,俯瞰的に物事を見てみたり,別の視点で物事を考えてみたり,自問自答してより深く物事を考えたりすることもあると思います。そうした視点を変えてみたり,物事を深く考える経験は,思考力を高めることになると思いますし,柔軟な発想を生み出していける土台になるのではないでしょうか。

 

③様々なことを学ぶモチベーションになる

 悩みの種を知識や技術で解決することが可能なこともあります。そのため本を読んでみたり,色々と検索してみたりして答えを探すことも有効な手です。必要に迫られるというのは何かを学ぶモチベーションとして大きいですから,「悩み」は今までの自分にない知識や能力,考え方というものを手に入れる原動力になると思います。

 

④自己理解を深められる

 他の人が悩まない場面で自分は悩んでいたとしたら,そこには自分なりの価値観が関係しているでしょうし,同じ悩みでも違う行動をとったのだったら,行動の優先度や行動理念が違っているということでしょう。自分が何について思い悩み,どんなことを考えて,どんな結論に達したのか。こういった情報は,自分の価値観や行動理念を見つめ直すのによい材料になると思います。就職活動などでは「あなたはどういう人間ですか?」ということを問われたりしますから,悩んだ経験をもとに自己理解を深めていくと有利に働くこともあると思います。

 

 

 

 いかがでしょうか。今日は普段良くないこととされがちな「悩む」という行為のメリットについて考えてみました。もしかしたら高名な心理学者さんとかがもっとたくさんメリットを出しているかもしれませんが,とりあえず私は4つほど思いつきました。やってみた感想としては「結構いいところあるやん!」って感じです。やってみるまでは私自身も「悩む」ということにはネガティブなイメージがあったのですが,一生懸命悩んだ後にはメリットが付いてくるというイメージに代わりました。「くよくよ悩んでたってどうせいい解決案なんか出ない」というのは正しいのかもしれませんが,実は今悩むということが後で役に立つことがある。ですから,悩むか悩まないかということではなく,悩みや悩んだ経験をどう自分の糧に出来るかというところが重要なのだろうと思いました。みなさんの考える悩むことについてのメリットもお聞かせ願えれば幸いです。

 

 

最後までお読みいただき,ありがとうございました。

それでは,また。

 

 

カウンセリングが有料であることの有用性

 気温が上がってきて早めの夏バテを起こしてます。どうも,むーよしです。

 

 今日はカウンセリングの料金について。

 実は私,3年ほど前から心理カウンセリングというやつを受けております。カウンセリング自体が有用であるかどうかは別の機会に譲るとして,今日は料金をについて書きたいと思います。

 

 ハッキリ言って料金は高いです。カウンセリングルームによって値段はまちまちですが,プロがやる場合は1時間で1万円が相場です。医療ではないってことで補助がないため高額になります。
 大学内でやってる学生相談なんかは無料で受けられたりしますし,大学院生が研修のためにやっている施設ではかなり値段が抑えられてます。プロがやっている場合でも新人とベテランで値段が違う施設や,1セッション90分で1万2千円みたいに変則的に時間を組んでいるところもあります。

 

 カウンセリングを受ける状況にある人って「うつで仕事辞めました」みたいに経済的な弱者であることも多いですし,精神科の医療費もかかることが多いです。そこに加えての1時間1万円。それも毎週とか隔週でカウンセリングを行うところが多いので出費はかなり痛いと思います。(実際私は痛いです。)

 

 ただ最近,お金を払うことの有用性ってのを感じ始めていて,それは「気兼ねなく自分のことを話せること」です。カウンセリングってやっぱりネガティブな話題を取り扱うことが多くなります。最初の辛くて辛くて仕方がない時期はともかくとして,ある程度時間がたってくると相手の時間を拘束して自分の辛い話を延々とぶつけることに対して引け目というか,「何か悪いな」という気分が出てきます。そういう時にお金を払っていると対価を払っているんだから別に悪くないし,何ならちゃんと仕事をしてもらうために私もちゃんと話そうという気が起きます。しかし,これが無料やそれに近い金額だと,そろそろ良くなったということにして終わりにしようという気になってくるわけです。それでうまくいくなら良いですが,根本的な解決をなしにカウンセリングルームを出ても結局似たような問題が再び起こることになります。

 

 「こっちは金払ってるんだから,言うこと聞けよ」みたいな台詞は厄介なクレーマーの代表的なものですが,ことカウンセリングという場面においてはこういう我儘な感情が普段押し込めてしまっている感情を表に出すために有用な場面があると思います。

 

 料金が高くて経済的に痛手なのは事実です。ですから料金制度は今のままでいいとは言いません。もっと広くカウンセリングを普及させるためにも,保険適応含めカウンセリング料金を引き下げる議論は必要だと思います。ただ,安易な引き下げや無償化は弊害も大きいんじゃないかなぁというのが,一カウンセリング利用者としての意見です。

 

 

 Twitterでたまたまカウンセリングの代金についての疑問を見ましたので,受け手として何を感じているかということを記事にしてみました。カウンセリング自体は知名度も上がってきましたが,具体的な金額のこととなると知らないという方も多いと思います。この記事を見て「そんな感じなんだぁ」と理解が広がってくれれば幸いです。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

それでは,また。

トイレの夢の話

 どうも。眠くなると露骨に頭がまわらなくなるむーよしです。

 

 今日は定期的に見る夢の話。(ちょっと汚い内容になります。ご注意ください)

 

 私は定期的にトイレの夢を見ます。厳密に言えば過去1年くらい見ていなかったのですが,この間久しぶりに関連した夢を見たのでちょっと記事にしてみようと思いました。

 

 内容としては,まず私はとてもトイレに行きたがっているところからスタートです(大きい方)。とってもトイレに行きたいのですが,なかなかトイレが見つかりません。やっと見つかったかと思うと,その便器はとてもじゃないけれど私が用を足すことはできない便器なのです。ある時は異常に汚く,ある時は巨大すぎ,ある時は水没していて,ある時は仕切りも何もなく公衆の面前に置かれています。どうしようもなくて立ちすくみ,不安と焦りでパニックになって目が覚める,というものです。

 

 こんな内容の夢を多分10年前くらいから見始めました。見る日の規則性みたいなものは分かりません。見なくなる少し前は便器の状態が少しマシになっていき,1年ほど前から見なくなりました。

 

 そして先日,1年ぶりにまたトイレに関する夢を見ました。今度はトイレ掃除をしていました。私はコンビニ定員で,仕事の一環でトイレ掃除に精を出すという夢です。

 目が覚めた時,結構びっくりしました。1年ぶりに見るトイレの夢。それもトイレが無くて困り果てるのではなく,トイレを奇麗にする夢を見たものですから,私は何かストーリーのようなものを感じずにいられませんでした。

 

 

 今回起きた変化が具体的に何を意味するのかは分かりません。夢を見なくなったころと自己表現ができ始めた時期が重なっていたので,なんとなく自己理解や自己表現に関係していそうだなーとは考えていましたが,そうした変化がまた更に良い方向に進んだということなのか,別の何かがあったのか,或いは夢は夢であって自分の状態とは無関係なのか,本当のところは分かりません。

 

 ただ,私はこのポジティブな変化を私の私に対する期待として受け取っておこうと思っています。

 

 

 みなさんはよく見る夢とか,妙に頭に残っている夢とかありますでしょうか?夢は記憶の整理だと言われてますので,一々意味などないかもしれませんが,時間が空いた時などにふと意味を考えてみるのも案外面白いかもしれません。血液型診断くらいは楽しめると思います。

 

 

 最後までお読みいただきありがとうございます。

 それでは,また。

子どもの頃はよくアスレチックに連れて行ってもらった

 最近はもっぱらパワプロで栄冠ナインやってます。どうも,むーよしです。

 

 今週のお題「何して遊んだ?」で,子どもの頃って何して遊んでたかなと考えてたら,アスレチックに連れて行ってもらったことを思い出したので今日はそれを書こうと思います。

 

 近所にアスレチックのある公園があったので,いつもそこに連れて行ってもらっていました。アスレチックと言ってもそんなにたいそうなものではなくて,網状になったロープを登っていったり,金属製のフープを潜り抜けたり,大きな滑り台があったりといった具合です。行く人も少ないのか遊具にクモの巣が張ってたりして,さびれている感も否めませんでした。

 ですがそこに何度も連れて行ってもらいましたね。同じことをやるわけですから途中で飽きたっておかしくないはずなんですが,いつも楽しみにしていて,連れて行ってもらう度に張り切って遊んでいました。楽しかった思い出です。運動も苦手だったんですがね。なんであんなに楽しみにしていたのか,今となってはもうわかりませんが楽しかったという思いが今も残っているのは嬉しいことだなと思います。

 

 

 調べてみたら今も公園そのものは残ってるみたいですが,アスレチックと呼べるようなものは残ってないみたいでした。遊具としていくつかは残っているようですが,私が子どもだった頃の時点でさびれていたところですので,仕方がないですね。公園が残っているだけ御の字ってところでしょうか。

 

出来ることなら残っていって欲しいものです。

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

それでは,また。

何気なく使ってるホーム画面

 漫画アプリで動画を見てポイントを稼ぐのが最近の日課。どうも,むーよしです。

 

 今週のお題「ホーム画面」。スマホのホーム画面をどんな工夫やこだわりでアプリを配置しているか教えてください!ってことなんですけど,あんまり意識したことありませんでしたね。それでもたまにアプリの配置換えくらいはすることがあるので,その時に意識していることだけ書いておこうと思います。

①良く使うアプリを1番最初のページに置く。
 まぁ当たり前のことですよね。今使用率が高いアプリを一番手軽に使えるようにします。メールなんかの連絡系や検索アプリは常連でいつも最初のページにいますね。今は漫画アプリでちょこちょこ漫画を読んだりするので漫画アプリが最初のページにいます。以前筋トレをやってた時なんかは筋トレ用のアプリや筋トレ情報を取り扱ってくれるニュースアプリがここにいました。

 

②用途が近いものを近くに配置。
 メールやLINEなんかの連絡系,カレンダー等のスケジュール管理系,漫画アプリはじめとした読み物系,みたいな感じでなんとなく使用用途の近いものは似通ったところに固めて置くようにしています。特に深い意図はないのですが,気持ち見つけやすくなります。

 

③ゲーム類は最初のページに置かない
 最近はあまりやらなくなりましたが,スマホゲーをよくやっていた頃はよく開くアプリでも2ページ目とかに置いてましたね。何気なくスマホ開いた時に目に入るとやりたくなっちゃうので,やりすぎ防止のために最初の画面にはいれないようにしていました。

 

 こんな感じですかね。あんまり意識したことありませんでしたが,改めてどういう風に考えてるかって思い出してみると3つほど思いつきました。普段何気なくやってることでも改めて考えてみると発見があったりするものですね。まぁ正直このくらいならみなさんやってらっしゃるような気がしますが,楽しんでいただけたら幸いです。

 

 

 以上となります。最後までお読みいただきありがとうございます。
 それでは,また。

 

 

 

 

 

散歩が出来る街に住みたい

 どうも。お気に入りのウォーキングシューズを履きつぶしてしまい,テンションが落ちました。むーよしです。

 

 今週のお題「好きな街」。何か記事書こうかなーってはてな開いたら「どんな町に住みたい?」って聞かれてたので,今日は住みたい街について。ぎっりぎりですけどまだ今週。

 

 とりあえず今,私の日課には散歩というものがあるので,散歩が出来る街が良いなぁと思います。舗装された道と季節を感じられる自然があって,治安が良いところ。
 人通りや車が多いと自分のペースで歩けないので,人や車が少ないor広くて気にならないような道があればよし。要は,ウォーキングコースとか設定されてるでかい自然公園みたいなものが近くにあるか,程よく田舎の住宅街って感じでしょうか。歩きたいなって思った時に自然を見ながら歩けるような環境が身近にあって欲しいですね。

 

 散歩が良いのは,ストレス解消になるところです。歩き始める時にイライラしていたり悩み事に頭抱えてたりしても,歩いているうちに,ふと気がつくとどうでもいい事を考えていて,はじめの方のイライラを忘れてたりするんですよね。

 いつの間に意識がそれたのか分からないってのが良いところで,悩みやイライラの種って考え過ぎても,無理に考えないでおこうとしても,どっちにしろしんどいので自然といつの間にか解消されてるっていうのは負担が少ないです。適度な運動が体に良いっていうのは周知の事実なので,ゲームその他の娯楽よりも”ちゃんとした”行動をした感じもある。日の光をあびて運動すること自体のストレス解消効果もありますしね。

 

 という感じで散歩が好きなので,散歩がしやすい町に住みたいなーという願望です。

 

 

それでは,また。